教えのやさしい解説

大白法 545号
 
知恩報恩(ちおんほうおん)
「知恩報恩」とは、恩を受けていることを知って、恩に報(むく)いることをいいます。
 仏法では、私たちが縁(えん)する一切のものに対して恩を知り、恩を報ずべきことを説いています。
★ 仏弟子(ぶつでし)は四恩(しおん)を知って知恩報恩をいたすべし
 日蓮大聖人は『開目抄』に、
「聖賢(せいけん)の二類は孝の家よりいでたり。何(いか)に況(いわ)んや仏法を学(がく)せん人、知恩報恩なかるべしや。仏弟子は必ず四恩をしって知恩報恩をいたすべし」 (御書 五三〇n)
と仰せのように、仏弟子たる者は孝養を尽(つ)くすべきであり、その孝養とは四恩を知って報恩感謝することであると御教示されています。
 四恩とは、
 「一には父母の恩を報ぜよ、二には国主の恩を報ぜよ、三には一切衆生の恩を報ぜよ、四(し)には三宝(さんぼう)の恩を報ぜよ」(同 九二二n)
と示されるように、父母の恩、一切衆生の恩、国主の恩、三宝の恩をいいます。
 私たちは、この四恩を知って、真の報恩をいたすべきなのです。
★ 父母の恩
 父母の恩を報ずるとは、
 「六道に生(しょう)を受くるに必ず父母あり(中略)然(しか)るに今生(こんじょう)の父母は我を生みて法華経を信ずる身となせり」(同 二六七n)
とあるように、私たちをこの世に生み、育(はぐく)み、しかも大聖人の仏法を信ずる身を与えてくれた父母に感謝し、孝養の誠を尽くしていくことをいいます。
★ 一切衆生の恩
 次に、一切衆生の恩について、
 「一には一切衆生の恩、一切衆生なくば衆生無辺(むへん)誓願度(せいがんど)の願(がん)を発(お)こし難(がた)し。又悪人無くして菩薩に留難(るなん)をなさずば、いかでか功徳をば増長(ぞうちょう)せしめ候べき」 (同)
とあるように、一切衆生がいなければ、菩薩の四弘(しぐ)誓願の一つである衆生無辺誓願度の願いを発すことは困難です。また、修行を妨(さまた)げる謗法の衆生がいなければ、自(みずか)ら発心(ほっしん)修行して功徳を増(ま)すことはできません。
 さらに、私たちは誰(だれ)一人として、社会にあって一人だけで生きていくことはできません。必ずあらゆる衆生に支(ささ)えられて生きているのですから、謙虚(けんきょ)にその恩を知る必要があります。
★ 国主の恩
 次に、国主の恩とは、
「三には国王の恩、天の三光(さんこう)に身をあたゝめ、地の五穀(ごこく)に神(たましい)を養ふこと、皆(みな)(これ)国王の恩なり。其(そ)の上、今度(このたび)法華経を信じ、今度生死(しょうじ)を離るべき国主に値(あ)ひ奉れり。争(いか)でか少分の怨(あだ)に依(よ)っておろかに思ひ奉るべきや」  (同)
と説かれるように、平穏(へいおん)に生活を送れるのも国主の恩であり、また法華経を信仰することによって国主から様々な迫害(はくがい)を受けることにより生死を離れ、即身成仏を遂(と)げることができるのも、国主の恩であると仰せです。
 現在の民主主義国家にあっては、主権(しゅけん)の存(そん)するところと見るべきでしょう。私たちがこの世の中で政治・行政(ぎょうせい)・衣(い)(しょく)(じゅう)など、あらゆる面で恩恵(おんけい)を受けつつ生活できるのは、国家社会のおかげなのですから、感謝の念を持つことが大事です。
★ 三宝の恩
最後に、三宝の恩とは、三宝とは仏・法・僧をいい、本来一切衆生は、この三宝(さんぼう)の高く広い無辺(むへん)の御恩を知らなければなりません。
 すなわち、仏の恩とは、仏はすべての衆生を我が子として一人も残らず平等に救済してくださるのですから、その仏の大慈悲の救済(きゅうさい)に報恩感謝しなければいけません。
 法の恩とは、法は諸仏の師であり、諸仏が尊(とうと)いのは法によります。それゆえ仏の恩を報じようと思うならば、法の恩を報じていくべきなのです。
 そして、僧の恩とは、仏宝・法宝(ほうほう)は必ず僧侶によって護(まも)り伝えられていくという、付嘱伝持(ふぞくでんじ)の恩徳をいいます。
★ 下種三宝の広大無辺の御恩
 日蓮大聖人は同抄に、
「末代の凡夫(ぼんぷ)、三宝の恩を蒙(こうむ)りて三宝の恩を報ぜず、いかにしてか仏道を成(じょう)ぜん」   (同 二六八n)
と、末法の衆生は三宝の大きな御恩徳をいただいているのであり、その御恩徳を報ずることなくして、どうして成仏が遂げられようか、と仰せられています。
 つまり、仏とは御本仏宗祖(しゅうそ)日蓮大聖人、法とは本門戒壇(かいだん)の大御本尊、僧とは大聖人より日蓮一期(いちご)の弘法(ぐほう)を相承(そうじょう)あそばされた日興(にっこう)上人を随一(ずいいち)とする、歴代(れきだい)の御法主上人をいいます。なお広い意味では、大聖人の血脈(けちみゃく)に連(つら)なる日蓮正宗の御僧侶も僧宝(そうほう)に含(ふく)まれます。
 末法の一切衆生を悉(ことごと)く即身成仏せしめる三宝の恩徳は、広大(こうだい)にして無量無辺であり、三世にわたるゆえ、四恩中、最も大切なのです。したがって、私たちが仏道を成就(じょうじゅ)していくためには、この三宝を中心とした四恩を報じていかなければなりません。
★ 不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)の折伏こそ、最高真実の報恩
 この三宝の恩を含めた四つの恩に対して、私たちはどのようにすることが、最も大きな報恩となるのでしょうか。
 日寛(にちかん)上人は『報恩抄文段(もんだん)』に、
 「問う、報恩の要術(ようじゅつ)、その意(い)は如何(いかん)
  答う、不惜身命を名づけて要術と為(な)す。謂(おもえら)く、身命を惜(お)しまず邪法を退治(たいじ)し、正法(しょうぼう)を弘通(ぐずう)すれば、即ち一切の恩として報ぜざること莫(な)きが故なり」 (日寛上人文段集 三二三n)
と述べられ、不惜身命の心構(こころがま)えをもって邪法を退治し、正法を弘通することが真の報恩であると御教示されています。
 私たちは不惜身命の決意をもって折伏を行じていくことが三宝尊(さんぼうそん)への御報恩であり、一切に対する真の知恩報恩であると確信し、日々の信行に励みましょう。